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林檎の里さみず

恵まれた自然環境がきめが細かくコクのあるおいしいりんごを育みます

りんご栽培に適した自然条件

世界中で愛され、食べられている「りんご」。その産地として名高い長野県の中でも北部に位置する飯綱町三水地域(旧三水村)は、みずみずしくてコクがあり、甘みと酸味のバランスがよくてキメが細かいりんごが収穫できる、知る人ぞ知る「りんごの里」です。そのおいしさの秘密は、日当たりがよくて昼夜の寒暖差が大きいこと、そして、三水地域独特の粘土質の土壌という自然条件にあります。

標高と気温

標高500~550メートルに位置する丘陵地で、昼夜の寒暖差が大きい三水地域。この温度差によってりんごは昼に成長し、夜は無駄な呼吸を抑えて寒さから身を守るという過程を繰り返すことで、実が引き締まった糖度の高いりんごが育まれます。また、りんごの色づきには秋口の気温の低下も必要。その点、三水は冷涼な気候なうえに年間降雨量も1000ミリ弱と少なく、地形的にも日照時間が長いという、りんご栽培の好条件が揃っています。

第三紀層の赤い粘土(ねばつち)

長野県の北端、斑尾山の南麓に広がる三水地域は、今から約6500万年から170万年前、日本列島の日本海側が海の底だった時代の第三紀層の粘土質が広がっている場所。この粘り気のある赤い粘土も、キメが細かくてコクのあるおいしいりんごを栽培する条件です。一般的に、作物栽培には水はけのよい土壌が適しているとされていますが、りんごに関しては粘土質の土壌が養分や肥料のもちを向上させ、木を成長させるうえでのメリットになります。

江戸時代の三用水から農業が発展し戦後に「日本一のりんご村」へ

さみずの歴史

三水地域の地名の由来は、江戸時代に引かれた3本の用水にあります。農業用水が不足しがちだったこの地は、先人の悲願だった用水が3地区に引かれたことで水が確保され、稲作ができるようになりました。

しかしながら、用水が届かなかった地域は依然として麦作や養蚕(桑栽培)などが生業の中心でした。そんななか、第二次大戦中には古くからりんごの産地であった長野市赤沼あたりまでりんごを買いに行く人が見られるようになっていました。戦後になると三水地域がりんご栽培の適地であることがわかり、アップルファームさみずがある倉井地区を中心にりんごの植栽が進められます。そうした流れとともに養蚕業自体も衰退した影響から、りんごの栽培面積が飛躍的に増加。昭和40年頃にはピークを迎え、全国生産量のおよそ1%を記録して、旧三水村は村として全国最多の生産を誇る「日本一のりんご村」となりました。また、栽培品種はふじが台頭するようになり、長野県としても高品質なりんご作りや新品種の研究にも力が注がれるようになります。こうして隣村と合併して飯綱町となった今でも、三水にはりんごの豊かな実りがもたらされています。

美しい景色と暮らしを次の世代へつなげていきたい

さみずのこれから

北信五岳(飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山)に囲まれ、豊かな自然が残る三水地域。この美しい景色を守るために、私たちは環境保全型農業と私たちの暮らしに共感していただけるお客様とともにこれまで歩んできました。そうしたなかで、次第に私たちの理念に賛同してもらえる地域の生産者の仲間も増え、現在の「アップルファームさみず」があります。 しかし、これからは農業や地域への思いだけでなく、新たな販路開拓も必要です。それによって、より多くの人々に三水地域と「アップルファームさみず」のことを知っていただき、おいしくて安心安全なりんごを食べていただくきっかけをつくっていくことは、私たちのひとつの目標です。

また、地域農業の後継者が減少しているなかで、私たちが受け皿となって地域に大きな存在感を示しすことで、さらに環境保全型農業が広がるとともに、若者が就農に新たな希望を見出してくれることも私たちのめざす姿です。そのためにも、意欲ある農業後継者が規模を拡大しながら地域農業を下支え、また新規就農者を私たちがサポートすることで、最終的には次の世代へとつなげていける魅力ある地域農業をつくりあげていかなくてはなりません。

100年後も、三水地域のこのすばらしい景観のなかで人々が暮らし、りんごだけではなく子どもたちも育つ畑を未来に残していくために…。仕組みづくりから地域農業を盛り上げていくことが私たちの使命です。